(Photo by ShigeoKIBIKI)
写真の無断転用禁止
 前回のデイトナ遠征は2000年であった。夢に向かって行動しているとき、人々は、本当に良く共感してもらえるもので、国内外を問わずいろいろな方々のお世話になり私の夢の実現をお手伝いしてもらった。其の時の夢のような体験は今でもはっきりと覚えている。其の時の夢をもう一度と、思っても経済的にもかなり負担が大きいので、そのときは、なんとなく4年後かなと思っていた。夢がかなった後私のレースは一段落と、1年半ほどお休みしていたけれど、2003年シーズンは、来年はあの4年後だと言う事でレースに対するリハビリをしておかなくてはと、出来るだけエントリーする事にした。R75/5(旧車)で5レース、R1100S(ボクサートロフィー)で5レース、計10レースに出場した。たまたまこの年からボクサートロフィーは全国の5サーキットで開催されたので、もてぎとオートポリスで初めてレースを経験できた。成績もまあまあで結構リハビリできたと思っている。

 2月24日火曜日いよいよ夢の世界アメリカへ出発です。京都駅まで親父に送ってもらい、はるかで関空まで、ノースウェストのカウンターでチェックインを済ませるが、テロの影響で荷物の検査が厳重だ。手荷物の検査も長蛇の列、時間に余裕を持っていて良かった。デューテーィーフリーでタバコを60個買い込んだら時計が3個ついて来た。現地時間と日本時間と予備に使えるのでラッキー。デトロイトまでの12時間のフライトに備えて昨夜はあまり寝ないようにしておいたが、禁煙対策用にニコレットを噛んでいたのが悪かったのか、ほとんど寝られず非常に永いフライトになってしまった。デトロイトからジャクソンビルへ向かう飛行機に乗り換えるとき、根本健さん達と合流出来た。気分はだんだん盛り上がるはずが、行く前にネットでみた天気予報どおり機上の窓枠越しには地上は見えず、一面白い雲ばかり。下界は雨模様のようだ。ジャクソンビルに着くと、中西氏夫婦(悟さんケイコさん)と林君が出迎えてくれた。根本さんはこの後の足であるレンタカーを用意してくれたが、一向に荷物が出てこない。思わぬところでタイムロスになってしまった。荷物が出てくるまでの間外で久しぶりの一服。これが又よく効くので目がまわってしまう。林君も同じマイルドセブンの時計を持っていたので話しをしていると、アメリカ国内に持ち込めるタバコは20箱、それ以上は税金がかかるそうだ。知らないことの強さか、よく助かったものだ。ここからは、車で移動。中西君はマシン2台と荷物を積んだバンでグッチスポルトの高山さんと、林君運転のワゴンには御大根本さんと木引プロダクションの木引さん、竢o版の雨宮君と私達夫婦で一路今夜の宿であるレイクパーク インへと向かう。約1時間半ほどで到着したが、天気があまりよくないのでどうも気分が盛り上がらない。チェックイン後買い物に寄った中西君を待って今回はじめてのアメリカの食事を食べに行く。夜遅かったので、予定の場所はしまっていたがよく似た店が開いて、アメリカンステーキにありつけた。少し硬いが値段のわりに非常においしい。ベイクドポテトはお勧めだ。

 2月25日水曜日 朝6時朝食、6時半出発の予定だが、時差ぼけで2時に目が覚め寝たのか寝てないのかわからない。ドーナツとコーヒーの朝食を摂り、ジェミングスのサーキットへ向かう。天候はやはり雨模様だ。根本さんは、仕事が忙しく、サーキットはキャンセルとの事。ゲート前のぬかるんだ道でしばらく待って今日から3日分の入場料を払ってリストバンド(入場券)をもらう。パドックで場所を確保して、テントを3つ並べて設営し、マシンと工具等を出して準備する。温度計をみると15度程度。ここは本当にフロリダか?と思うほど寒い。下は砂地なのでベニヤ板を敷くのだがうねっているのでマシンが安定しない。アルミ板で地ならしをして場所を作った。次回はスコップも用意した方がよさそうだ。



ゼッケンをはってレースガス(オクタン価110)を5ギャロン(約18? 6ドル/ギャロン)買って来てマシンの用意は完了。しかし路面はウエット。走行の申し込みに行くが、1日120ドルとの事。まともに走れそうにないのでキャンセルした。根本さんも走らない(サーキットにも来ていない)ので高山さんは不安そうな様子だ。こう寒いと、発電機とポットは非常に好評であった。お昼、根本さんを迎えに行ったがまだ仕事が忙しいそうで、我々だけでワッフルハウスで昼食、カリカリベーコンがとてもおいしい。根本さんはテイクアウトで辛抱してもらったようだ。サーキットに戻り少しうろうろしていると路面も少し乾いてきて、何台かコースを走り出した。それをみているとやはり走りたくなってきたが複雑な心境だ。まあ明日はもう少し天気もよくなるだろう。テントに戻ると高山さんが「横井さんのマシンをみてアンダーカウルのオイル容量不足を指摘した人がいましたよ。車検で不合格のときは、切欠部をアルミ板でふさぐ加工が必要かもしれませんね。」と忠告してくれた。とりあえず翌日の受付を建築中の(この間も2階の工事は進行中)コントロールタワーの1階のAHRMAの窓口でした。日本に郵送されていた書類を見せて、エントリークラスを告げると、AMAの入会と保険の証書を求められた。AMAはココで入会手続きしてもらうが、保険は、関空で入ろうとしたがオートバイレースに参加すると入れなかったのでない。VISAのゴールドカードに保険が付いていた事を思い出し説明してなんとなく受付完了した。3時から車検に行くと装備のヘルメットにクレームが付いた。スネル95のヘルメットはここのサーキットでは良いがデイトナではスネル98が必要だとの事。さあ困った、どこかでヘルメットを買わなければ。マシンの方は、心配していたアンダーカウルも問題なく車検OK。テントに戻ると今度は木引さんが「アライにメールを送ってデイトナでヘルメットを受け取れるように段取りしてあげるよ。」と言ってくれ一安心。気温もどんどん下がり10度になっていた。マシンや工具類をバンの中に片付けテントを縮めてサーキットを引き揚げた。夕飯はレッドロブスターに行く。ロブスターは結構おいしかったが、高山さんはシーフードのフライを注文して非常に困っていた。そういえば私も前回来たとき揚げ物を食べてアメリカではもう2度と揚げ物は注文しないようにしようと思った事を思い出した。(AHRMA参照http://www.ahrma.org/)

 2月26日木曜日 時差ぼけは少しマシになり3時に目が覚めた。7時半にサーキット入り、このサーキット初走行だ。気温は昨日より下がり8度から10度すごく寒いのでつなぎの上からトレーナーを着て走る事にする。フリープラクティスは、車検で黄色のステッカーを貼ってもらったので、4組中3番目の走行枠だ。AHRMAのレギュレーションに合わせたマシンでの初走行だ。どきどきしながらコースイン。ところがエンジンが吹かない。バッバッバッボーバッバッバッボーといいながらコースを2周したが、キャブかとも思ったが、どうもバッテリーの電気不足のようだ、早々にパドックに戻り各部点検して、バッテリーを交換しているうちに走行時間は終わってしまった。コースはセミウェットだったが、吹かない原因を考えていたので、コースを覚えるどころではなかった。2回目のフリープラクティスでコースを覚えるべく用意していたのに、コース上では赤旗中断、なにやらもめているようだ。コースインゲートに人が集まりオフィシャルがエントラントとミーティングしている。よくわからないがどうもコースにオイルやガソリンを撒いて走ったやつがいて皆でどうするか決めてくれといっているらしい。この後コースを代表者が2台走り、それぞれコース確認をしにいっている様子だが、結局フリープラクティスの2本目はキャンセルとなり、いきなり決勝レースとなってしまった。10時30分アメリカ国旗を上げ国歌を鳴らし決勝レースが始まった。スポーツマン750はレース10、フォーミュラービンテージはレース12だ。他のレースのスタートをみてスタート手順を確認しておく。テントに戻ると高山さんがエンジンマウントのナットがない事を発見指摘してくれた。そう言えば林君が荷物を積むときにステーが邪魔なのでナットを緩めておいたといっていたなあ。そのナットを締め忘れていたのだ。予備のナットを捜すがないので奥居に作ってもらったアルミのスタンド受けで代用する。レース10が近づく頃には又雨が降り出し路面はウエット、幸いグリッドは後ろから2列目だったので(AHRMAでは予選は行わず過去の実績等でオフィシャルが決める。)コースを覚えるつもりでゆっくり走ろうとコースインゲートに向かう。オフィシャルの合図でピットレーンへ、ピットレーンオープンでコースイン、1周まわって自分のグリッドに付く。路面にグリッド表示もないしオフィシャルはゼッケンナンバーを確認しているだけでグリッド位置の指示も無いのでスタートする位置はかなりいい加減だ。私は第2ウェーブだったので第1ウェーブがスタートするまで左手を上げて待つ。第1ウェーブが1/3ほどいってから@のカードが横に向いてすぐにグリーンフラッグ、スタートだ。レースが始まるとやはり気持ちが焦りコースを覚えるどころではなくヒッチャカメッチャカになってしまった。でもエンジンの調子は一部ツキが悪いところは有るが、まあまあだ。ほぼ最後尾でチェッカー。13位だった。次の12レースは路面もほぼ乾き面白くなって来た。



各コーナーのコースサイドに日の丸の看板が立っているのだがこれは日本人を歓迎してくれているのではなく、どうもクリッピングポイントの目安の印のようだ。なるほどと、やっとコースがわかりかけてきたところでチェッカー。4位だった。アメリカ初日のレースを無事終えることが出来た。その夜は日本食に行こうと鉄板焼に、ここの店員のパフォーマンスが強烈で、チャカチャカ鉄板はたたくは、食器や卵は投げるは、フライドライス(チャーハン)はこぼしまくるは、挙句の果てには注文と注文主を間違えるは、それはもう大変だった。これはベニハナの影響で日本料理にはパフォーマンスがつき物とアメリカでは思われているのだろうか。少し疲れたが、これはこれで面白かった。
(ジェミングス リザルト参照http://www.ahrma.org/results/2004/rr2004-01.htm)  

 2月27日金曜日 昨日までと違い今日は曇りだが雨は降っていない。そして3日目にしてようやく根本さんがサーキットに現れました。今日は、AHRMAとは別団体のWERAの主催するレースがある日です。AHRMAのカテゴリーに準じてクラス分けも有るので、根本さんに教えてもらいながら受付でV3クラスとV4クラスにエントリーする事にした。V4はレース1、V3がレース8だ。ドライコンデションの中フリープラクティスを2本やっと走ることが出来た。ドライコンデションになると昨日までの憂鬱感もなくなり気分良好、しかし今日は今までで一番寒く気温5度。1月15日のバトルよりも寒い。レース1は根本さんと一緒に最後列グリッドからのスタート。いつものように抜群のスタートダッシュで 先頭グループと一緒に1コーナーに侵入、しかしどの程度せめて良いかわからないうちにアウトからバンバン抜かれていった。



先頭グループが行ってしまった後、裏の高速コーナーで根本さんがバウーンと追い越していった。ラインを教えてもらおうと追いかけるが、みるみる離れて行き見えなくなってしまった。各コーナーで何速でまわるか決まっていなかったので、一人色々シフトを試しているうちにカワサキとヤマハに抜かれ、最終ラップではもう1台のヤマハにも抜かれたが抜き返してチェッカー。根本さんが5位で、私は8位だった。やっとレースらしいレースが出来た。この後根本さんは、仕事が残っていると宿に帰って行かれたが、高山さんは、やっとグッチが走る姿をみてほっとしていたようだ。ランチブレイクの間うろうろしていると♯508のBMWがエンジンをばらしている。私のフラットのトレーナーに描かれているR100のエンジンを見てバルブクリアランスをたずねてきた。0.15と0.2だと答えるがミリなのでわからないのでテントに帰りシックネスゲージを持っていく。クリアランスは、少し詰まっていたが問題なし、タペットをみてみようとシリンダーを外してみるとコンロッドのビッグエンドの焼つきだと判明した。こうなるとどうしようもないのでデイトナにBMWディーラーが有るよと告げて次のレースが有るからと後にした。
 
 レース8も最後列からのグリッドだったが、これもスタートダッシュが決まり5位ぐらいで1コーナーに侵入。その後何台かに抜かれたが又抜き返しバトルをする。まだ走行ラインやギアシフトに迷いは有るがジェミングス最後のレースは、結構充実したレースを楽しめた。7位でチェッカーを受け、クールダウン、裏の高速コーナーに差し掛かったところで突然エンジンがロック、とっさに無意識の内にクラッチを切っていたのだが、エンジンは打撃音を発しながらまだアイドリングしていたのでキルスイッチを切ってニュートラルにして惰性でコースを途中まで走行。ランチブレイクのBMWをみているだけにいやな予感。コースサイドのオフィシャルにレッカーを要請していると、ゼッケン282の黄色のヤマハのライダーが押してやろうとUターンして来てくれた。どうして押すのかと思うとスイングアームの左後端を右足で押すのだ。こうしてオフィシャルの指示したコース途中からコースオフする事が出来た。♯282さんありがとう。そこからパドックのテントまで押していると今度は、そこに駐車していた車の中からオッチャンが飛び出してきて、押してやるとバイクの後ろを押してくれた。もうフラフラになりかけていたのですごく助かった。パドックに付くと中西君を発見。エンジンブローを告げ、そこからマシンを押してもらう。オッチャン サンキューベリーマッチ。テントに着いてとりあえずヘッドをめくってみようと高山さんが右側を外しだした。



私も一息ついて左側を外しだす。高山さんがヘッドカバーの中から小さな金属片を発見した後EXバルブの小さなカケを発見。しかしその程度であの状態にならないだろう。左を開けると、発見!! EXバルブに金属の異物が挟まっている。腰下ではなかったので少しほっとした。高山さんがバルブスプリングコンプレッサーは宿に有るとの事でヘッドを外して宿に帰る。




荷物をすべて積み込み、ジェミングスサーキットを後にする頃、太陽が顔を出した。今回フロリダに来て初めての太陽だ。暖かい。お日様のありがたさがみにしみた。
宿に着き、高山さんと林君が作業を手伝ってくれるということで、他の人たちは食事に行ってもらい、我々3人は必要と思われる工具等の調達と夕食の買出しに別行動となった。各部を点検。燃焼室とピストンヘッドに打撃痕が有るがヒートスポットになりそうなバリ部分だけを削れば使えそう。シリンダーは小さな傷がいくつか有るが問題なさそう。バルブはIN EXとも曲がっているので取替えが必要。EXはノーマルだがINはビッグバルブだ。ウォルマートでリューターと刃物を買って、マクドナルドでテイクアウト、今日も根元さんはテイクアウトなので根本さんの分も調達。マクドは若干大きいが味は日本とあまり変わらなかった。高山さんがヘッドとピストンのバリ削りを自分の部屋でするとの事でお願いする。

 2月28日土曜日 今日はデイトナ方面への移動日だ。高山さんが昨夜作業をしていてバルブガイドにクラックを発見。大丈夫かどうか微妙なところのようだ。朝8時過ぎに出発。途中ゲインズビルに有るスタンの店に行ってパーツを探す予定。スタンの店は根本さんが前回グッチのパーツを探しに行ったジャンク屋だそうだ。ゲインズビルでちょっと早めの昼食、これが今回の旅で初めての全員参加の外食だ。バーガーキングで食べたが、レタスが入っていてとてもおいしかった。根本さんは超特大のハンバーガーをほおばりながら、「アメリカに来たらこれに挑戦しなくっちゃ。」とこれまた超特大のドリンクを持って言っていた。これもひとつのアメリカの楽しみ方。木引さんと根本さんのナビで11時半頃スタンの店に到着。しかし店は留守だった。1時間ほど待つと店の人が2人やって来た。店を開けてもらいバルブが欲しい事を伝えるがここにはないようだ。ボスと電話連絡で探してもらうことにして、店をあとにした。ここではほとんど根本さんが交渉してくれた。デイトナでは山下さんがBMWディーラーで情報を集めてくれているらしい。一路デイトナへ。デイトナに近づくに従って車やバイクが増えてくる。トライク等ゲテモノ系も増えてきた。デイトナに着くと大渋滞だ。もう少しのところで動かなくなったので、高山さんと歩いて行く。ディーラーの前で山下さんが待っていてくれた。メカニックのトムは4年前BMWでBERSを走って6位だったそうだ。と言うことは前回私のひとつ後ろを走っていたのか?
(※参照http://www.ahrma.org/results/2000/rr2000-02.htm)

 トムはそのバルブを持っているらしい、家に有るので夜電話してくれると言う。連絡待ちと言う事で店をあとにしたとき、あとから追いかけてきて自分の工具箱に有ったと持ってきてくれた。シリンダーヘッドに合わせてみるとぴったり。ほとんど無加工で付きそうだ。チタンのスペシャルリテーナーとバルブコッターもセットで分けてもらうことが出来た。いくら払えばいいか分からないので尋ねると、ツー、200ドル支払ってお礼を言って別れた。これで光明が差してきた。このあと今夜の宿になるデランドのホリデーインに向かう。チェックインすると103号室、1階だ。部屋に入ると庭に出られる。庭は駐車場と続いている。おっ、これは部屋の中にマシンを持ち込めるではないか! 非常に快適な整備空間を確保出来て本当に良かった。早速床に布とベニヤ板を敷いてマシンを部屋の中に入れて高山さんと林君とで作業開始。バルブを組んでもらって又問題発生。異物が噛んだところのバルブシートが変形していてバルブフェースが密着しない。このままだとバルブシートがシリンダー内に落っこちてエンジン大破となりかねないという。さらにどこで間違えたのかピストンの前後ろ方向が逆になっている事が判明。INのバルブリセスのサイドがほぼ触っている状態だった。これは正規に組みなおし、ヘッドは明日のAMIでの車検の為に中身が空の状態で仮組して、車検の後シリンダーヘッドを探す事になった。夜食は、チャイニーズに行ってきたらしく、テイクアウトの中華だ。

 2月29日日曜日 朝一番からAMIへ、今日は車検の日だ。テントで受付をして書類をもらう。根本さんとライダースミーティングに出て注意事項を聞く。なんと今年は1day、2day共、同じスケジュールで2回レースをするらしい。私の場合Sportman750がRace9、 BEARSがRace10、Formula VintageがRace11、と3つ連続になってしまい、さらに時間短縮のためにゴールとスタート準備が時間的にオーバーラップする事になっているので無理になりRace10のBEARSをキャンセルする事にする。それでも2日間で4レースする事になった。ただ、まだマシンが完成していないので複雑な心境だ。あとフリープラクティスはピットロードからコースイン、チェッカー後は1週まわってコースアウト、決勝レースのときは、1コーナーからコースイン、チェッカー後は1コーナー直後にコースアウト、旗の確認とその他注意事項を聞いて終わった。装備の車検でヘルメットの問題が有ったが根本さんが「オフィシャルと話して何とかしてあげるよ。」と言ってくれたので書類を渡していたが、根本さんがその書類を渡すとオフィシャルは何も見ないでOKをくれた。車両の車検も問題なく完了。あとは肝心のシリンダーヘッドだ。根本さんも何人かに声を掛けて探してくれたが見つからない。中西さんがトムに連絡を取ると、ビッグバルブのヘッドを持っているとの事、3時ごろまで他のBMWの修理をしているのでそれ以降に取りにおいでと言ってくれた。時間がまだ有ったので中西夫婦、林、山下、当夫婦、計6人でコインランドリーへお洗濯に行く。洗っている間に隣のポパイ何とかで昼食、ほうれん草のメニューはなかった。乾燥機に入れている間に、お買い物。ここのATMでシリンダーヘッド代を用意するためにキャッシング、一度に200ドルしか出ないので計400ドル出した。この後山下さん、林君と別れ、他の人たちがいるAMIへと向かうが道路が大渋滞で行きつけそうにない。根本さんと連絡を取ってこのまま直接トムのところへ行く事になった。2人乗りのバンに、うちの夫婦と中西夫婦、4人横に並んで完全に定員オーバーでパトカーにびくびくしながら行く。トムの家はデイトナから北へ1時間ほどの所に有り、ビレッジの入り口には守衛さんがいて、船着場も有るような超高級リゾート地のような所だ。ちょうど到着したとき、あのジェミングスでコンロッドを焼きつかせていたBMWが帰っていった。彼もトムにお世話になっていたようだ。すごく美しいガレージの中にシリンダーヘッドは有った。前に分けてもらったバルブを合わせて見ると、ぴったりだ。メンケンはしていないので圧縮は元の物より下がるが、レンタルでも買取でもどちらでもいいよ、と言ってくれたので後の事も考えて中西さんから400ドル借りて買い取る事にする。750ドルだった。家の中に招かれ入ると、漢字の物がいくつも置いてある、前の彼女が日本人だったらしい。階段の壁にはたくさんの盾などが飾られていた。飼い猫の名前はハナコだ。そうこうしているところへ奥さんが帰ってきた。中西さんはメキシカンと間違われ怒っていた。お茶をご馳走になって写真を撮ってお礼を言ってあとにする。途中ATMに寄って借金を返す分を出そうとするが400ドルしか出てこない。1日に出せるのは800ドルまでなのだろうか?ホテルに帰り、高山さんにバルブの組付けをお願いして、高山さん達が食事にいっている間仮組みをばらし準備をして待つ。高山さんが帰ってきたので一緒にファミレスのようなところへ夕食を食べに行く。Tボーンステーキとパンケーキをたべたが、やっぱりあわなかった。ホテルに戻り組付けには入る。さあ完成と言うところで、高山さんが、ブローバイ還元のメクラ蓋を持ってますか? えっ!何それ。エキパイの出口の脇に小さな穴明けが空いている。ブローバイ還元のパイプが付くところらしいがこんなもの見たことない。また明日パドックで探すことにする。ツインプラグだったのが今度は1コなので余ったプラグコードの端をアースさせる。この時コイルのステーにクラックが入っているのを発見したので補強しておく。今日はここまで。
竢o版のサトーくんがデイトナ空港に到着、11時頃に迎えに行った木引さんと雨宮君と一緒に私の部屋に訪れてくれステッカーを頂いた。今日の車検のときにグローリーホールの意味が判明したのでボクサージャーナルのステッカーと貼り替える。

 3月1日月曜日 いよいよデイトナスピードウェーだ。ゲートオープンが7時なので5時半頃マシンを積み込んで中西、高山、私の3人はバンで先に出発。ゲート前には3台目にならべた。パドックはいい場所が取れそうだ。ハルさんのクレデンシャルを私が持ってきてしまったので後から来る車に渡しに行かなくては。うろうろしていると、アワエさん一行に会う。メクラ蓋の事を告げるがそんな大きなボルトは持ってないとの事。又他を当らなくては。又うろうろしていると乗用車が止まった。窓枠を開けてなにやら呼んでいる。よく見ると根本さん一行だ。自分が乗っていた車なのに、わからないものですねエ。クレデンシャルをハルさんに渡し、バンに戻ろうとすると、ゲートオープンが早くなってバンは中に入ってしまった。急いでワゴンに戻り、パドックに入る。テント設営後メクラ蓋を求めて、4年前に知り合ったディビットのBMWチーム行ってみたが、ねじ箱を色々探してくれたがなかった。他にもBMWの置いてあるチームのところをまわって歩いたが皆非常に協力的なのだが見つからない。朝あまり早いと失礼と言う事で8時になるのを待って中西さんに、トムに電話を掛けてもらった。すると、トムはもう出勤しており、その部品は有るから9時に店に来るように言ってくれた。とりあえずマシンは組み立てたままで不安だったのでエンジンを掛けて見たところ問題なくエンジン始動。しかし健さんが排気に穴が空いていると温度が上りエンジンを焼く恐れが有るよ、助言が有ったのですぐにエンジンを切った。健さんとグリッド表を見に行く。Race9、Sportman750がウェーブ2の最後列だ、Race11、Formula Vintageもウェーブ2の最後列だ。あれっ!健さんと一緒に走るはずが、健さんの名前がない。健さんはその脚でAHRMAのテントに入っていった。その後、ハルさんと中西さんと3人でBMWディーラーへ、ちょっと早めだったが店内には入ると純正部品のパッキン付で2組手に入れる事が出来た。フリープラクティスの1本目は8時44分からだったのでキャンセルしたが、2本目は10時12分からなので余裕で間に合うのでついでに少しBMW物を買い物して行く。これですべて揃った筈だ。パドックに戻るとケンさんのモトグッチのエンジンを開けていた。BMWのメクラ蓋を取り付け、走行の準備をしていると、何か雰囲気がおかしい。聞くとグッチのピストンに穴が空いたとの事。1回目のフリープラクティスで走行中の出来事だったらしい。せっかく私のマシンが直ったのに・・・・。一難去って又一難。テント内の雰囲気は非常に重い。それでも根本さんは「シケインの切り返しが近くなっているから気をつけて。」とアドバイスをくれた。そんな中フリープラクティス2本目の時間が近づいてきた。エンジンを掛け、ピットロード入り口に向かう。コースインゲートから入ろうとすると早すぎてまだ前の組の走行中だった。始動用バッテリーとスタンドを持って高山さん、中西君、ハルさんも来る。さあ今回始めてのデイトナスピードウェーにコースインだ。ピットに入り待つ。グリーンフラッグでピットロード入り口をUターンしてピットロードへ、ピットアウトロードを行くと S字出口あたりから本コースに合流。



インフィールド1つ目のヘアピンをゆっくり廻り左高速へアクセルを開けていく次の右は深い目まで入って短いストレートで加速、次の左をまわるといよいよ1つ目の30度バンクだ。バンクの中ほどを気持ちよく加速。エンジンは圧縮が下がった分少しパワーは下がったように感じるが良好だ。ただ全開の後アクセルを戻してもう一度開けたときにエンジンがしばらく付いてこない。4年ぶりのバンクはやはり怖い。怖いのでバンクの下の方を走ると路面がうねっているので余計怖い。裏のストレートに降りてくるとほっとする。シケインを経て2つ目のバンク、ストレートの後18度バンクを経て1コーナー、S字と、今まで4年前の資料を見ながらシュミレーションしていたコースを実走して感激だ。少しづつペースを上げながら感触を楽しむ。ペースを上げてくるとバンクが怖い。ニーグリップしてタンクに腹を乗せて脇を締めるように乗ると車体が安定してマシだが、先を見ようと頭を上げると又振れだす。18度バンクを過ぎて1コーナー白線を踏みながらのブレーキング、これが又怖い。その後次のブレーキングの時ブレーキレバーの遊びが極端に増える。怖さと戦いながら数周廻った所で、前を走っていたバイクが3台そろってピットインしていった。チェッカーを見落としたと思い私もつられてそのままピットイン、コースアウト。まだ時間は有ったようだが、感触はつかめたのでまあいいかと思いそのままテントに戻った。根本さんに「まだ時間残っているんじゃないの?」といわれたが、自分なりに満足していたので良しとした。ブレーキの遊びの事を聞くと、ソリッドのディスクブレーキは歪むのでよくそういうことが有るそうだ。問題ないらしい。決勝はSportman750がRace9、Formula VintageがRace11、結構待ち時間は有ったが、ジェミングスとは大違いで天気も良く気温は28度ぐらいまで上っているし、湿度も40%、非常に心地よい。アメリカ国歌が流れ、決勝レースの開始が告げられる。でっかいアメリカ国旗がはためいていた。

 カメラを持ってパドックをうろうろしながら時間をすごす。4年前とあまり変わらない。人と目が合うと、にっこり、何かリアクションが有りとてもフレンドリーだ。ジェミングスで押してくれた♯282を探してお礼を言おおとしたが、見つからなかった。テントにはユッキーこと小林ゆきチャンが今回も尋ねてきてくれた。根本さんのマシンの事があるのであまりはしゃげないがハルさんと再会を喜ぶ。そうこうしているうちにRace9 Sportman750のファーストコール。テントに戻り暖機をして準備する。ファイナルコールでいざ出陣。ピットロードから1コーナーへコースイン、インフィールドはゆっくり走り、バンクからタイヤを暖めるために全開にしていく。黄旗が出ているので前のマシンを追い越さないよう気を付けながらピットロードに戻り自分のグリッドに。ウェーブ1のスタートの後いよいよだ。カードが横を向きすぐにグリーンフラッグ、少しフロントが浮き気味になったが抜群のスタートで1コーナーへ。慎重に1コーナーを廻りS字からヘアピンをこなす。左高速で前には5〜6台。バンクで前車を追いかける、プラクティスであんなに怖かったバンクが怖くない。シケイン進入でAの看板でブレーキング。少し早すぎた。シケイン立ち上がりでマシンが暴れる。前車に少し置いていかれたが必死で追いかける。夢中で走り2台追い越してチェッカー。4位だった。テントに戻ると根本さんが、アクセルを開けるポイントが少しずつ早くなって来ていた。いい感じだったよ。と言ってくれ、大満足だ。



木引さんは、1コーナーが固いよ、と助言をくれたが本人としては恐怖と戦っているので仕方なかった。ここはあまり無理をするとアウト側が逆バンクになっているのでスターライダーでも行き過ぎるとわざとグリーンに出るらしい。次からも慎重に行く事にする。次のレースに向け、バッテリーを替え、ガソリンを少しでも軽くしようと3?だけ足して備える。次のRace11、Formula Vintageのグリッドは根本さんのグリッド記載漏れがあったので変更になっていて、私は、2列目のイン側に変わっていた。

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このレースでもスタート良く飛び出したが、アウトからかぶせられ5位ぐらいで左高速へ、しかし前車は相当早い。2周目までに2台抜いたが、その先にはもう誰もいない。単独走行になってしまった。モチベーションを下げないよう気を付けながら走っていると、前のカワサキに追いついてきた。18度バンクでかわし、1コーナーでかわされ、左高速の後の右で相手がもたついているところを抜き去り、シケイン立ち上がりで又抜き返され、すごく楽しいバトルとなった。もう1周そんなバトルを繰り返しながら、2つ目のバンクから18度バンクに向かうところでカワサキを抜きさってさあラストラップはきちっと押さえ込むぞと思ったところで、エンジンがバッバッバッバッと力をなくした。根本さんの事が頭をよぎり、ピストンがいってしまったのだろうかとクラッチを切り、惰性で白旗の横を通過。未練がましくもう一度クラッチをつないで見たが復活せず、ピットロードに入り停車後押してコースアウトした。テントに戻り高山さんがエンジンを開けくれたら、タペットクリアランスが冷間時より0.15ほど多かったが、エンジン内部の焼け等は問題なかった。上死点マークが狂っているのでは、等いろいろな意見が出たがホテルに帰り冷間時のクリアランスをもう1度確認する事にしてパドックを引き揚げた。
 
 夕食は、フーターズに行きたいと言ったが却下され、チャイニーズのバッフェ(ビュッフェ=バイキング)へ、一人10ドルで結構おいしかった。ホテルに帰りヘッドを組んでクリアランスを調べて見ると、正常だ。



強化スプリングに対して鉄の強化プッシュロッドを使用している為、膨張係数の違いでクリアランスが増えていたのだろうか?デイトナの長い全開区間のためにオーバーヒートしていたのだろうか?高山さんがジンさんに相談するとグッチスポルトに電話してくれた。神宮司さんの非常に協力的な話の結果、バルブクリアランスが多いのはさほど問題ないだろう。ジェッティングは、こちらのレースガスはすすけないのでプラグでは判断できないが、マフラーの後端から覗いて先15センチぐらいすすけるぐらいが理想だそうだ。今は全部真っ白なので薄すぎるのだろう。メインジェットを♯172から♯182に10番上げた。ニードルを上げようとしたが一番上だったのでこれはそのまま。点火時期はノーマルの位置より少し進ませる程度に調整する事。これは、タイミングらいとは高山さんが持っていたがエンジンを掛けなければならないので、とりあえずこの状態で明日に望む事にした。

 3月2日火曜日 テントに着いて走行の準備。ガソリンを入れようと残量を見てびっくり。1.5センチしか入っていない。昨日は、ガソリンをケチったのでガス欠だったようだ。アワエさんのチームでは、私は救急車で運ばれた事になっていたそうで、ガス欠と聞いて大笑い。その後サムさんに散々ののしられた。(笑いながら) 皆さんお騒がせしました。高山さんに点火時期を調整してもらい、1回目のフリープラクティス。体感的にはあまり変わっていない。相変わらずアクセルを戻した後もう一度開けるとついてこない。周回数を重ねるとそのついてこない時間がだんだん長くなっていく事を確認できた。今回もまた前を走っているマシンにつられてチェッカーを受ける前にピットイン、コースアウトしてしまった。



テントに戻りマフラーを覗いて見ると先端から25センチほどがすすけている。メインジェットを5番下げて見る事にした。走行後、根本さんからライディングクリニックをしてもらう。1コーナー進入は怖いのならブレーキをガツンと掛けずに引きずったまま進入した方が良い。S字2つ目はもっと思い切ってアウトにふりなさい。ヘアピンは、ツーリングのようにタラーと走った方が良い。左高速の後の右は進入で思いっきり左に振って黄色いラインが見えたら一気に右に切り返す。シケイン進入のブレーキングは真直ぐに、我慢して一気に左にターンすれば次の右につなげやすい。これは参考になりそうだ。その後中西君と話していると200マイルの選手達はバンクをアウトインアウトでまわっているみたいだと言う。2回目のフリープラクティスで試してみる。1コーナーのブレーキング少し手前から引きずるようにジワッーと掛けていくと気分的にかなり楽になった。木引さんから言われていたので出来るだけリラックスしてコーナーに進入する。S字は2つ目の切り返しのときにギャップで跳ねていたのがなくなり、アクセルを開けるポイントも早くなった。ヘアピンは奥まで突っ込みブレーキはあまりがんばらずにスムーズにバンクする事を心がける。左高速は、アクセルを戻してきっかけを作って一気にバンクさせる。その後の右は、かなり奥まで突っ込んでいける。コースのアウト側に向かってブレーキング、一気にバンクさせるとその後のクリップが非常にうまく取れる。シケイン手前BとAの看板の間でアクセルを戻し@の看板で真っ直ぐブレーキング一気にバンクさせるとシケインでの切り返しもだいぶスムーズにいけるようになった。ただシケイン立ち上がりでアクセルを開けるポイントが早くなった分車体のヨレも多くなってしまった。これはシフトアップの後のニーグリップ等で収めるようにしなくては。バンクのアウトインアウトは、車速の違いからか、うまく行かない。



ところがストレート手前早目からバンクを下り始めると、ストレートとのつながりがいい事を発見。さらにバンク走行中はストレートの方まで見ずに伏せたまま見える範囲だけ見るようにしたほうが車体は安定する。18度バンク進入は相変わらず恐怖を覚えるがココは一番気合で入る。このフリープラクティスはきっちりチェッカーまで走り、非常に収穫もあった。さすがに根本さんのクリニックは的確だ。ありがとうございます。中西さんヒントをありがとう。

 普段レースの日に(国内レースを含め)私は、まず昼食と言うものを取った事がなかった。しかし、一通りの不安材料が取れて、アメリカ最後の日だと言うことも含めて、気分が開放的になったのかお腹が減ってきた。中西さんの誘いもあって、昼食に例のフーターズへ行く事になった。話のネタとして、アメリカにきたら一度はフーターズに寄っておかなければ!取材組の人達はいけないので、観光組で繰り出した。昼前だったので比較的すいていたが、昼頃になると、さすがに混みだした。ムチムチのお姉ちゃんがタンクトップとホットパンツで注文を取りに来る。山下さんは注文をしているのやらどこを見ているのやら。林君は昨日も来ていたらしい。やはりココへくるとうちのハルさんは貧弱だ。名物のチキンウィングとサンドウィッチを食べたが、うわさほどまずくなく、まあまあだ。
 
 パドックに戻り、AERMA事務局テントの横へグリッド表を見に行った。Race9、Sportman750のグリッドは台数が増えているが昨日と同じ場所だ。Race11、Formula Vintageのグリッドも台数が増えているが、こちらは昨日の2列目から、3列目に変わっていた。時間も進み。Race9、Sportman750のスタートだ。昨日ほどはドキドキしていない。結構冷静だ。グリッドも最後尾なので前車の真後ろではなく、ちょっと右に振って走行ラ インを確保する。ウェーブ1がスタートして、グリーンフラッグを待っていると、右前のライダーが手を上げている、ヤバイ!エンストらしい。



走行ラインが確保できないかも。そう思うまもなくグリーンフラッグ、スタートだ。案の定エンストライダーが邪魔になり、いつものロケットスタートが出来ないでいると、その先に別の失速しているライダーがいてフラフラと私のラインを塞いでいく。それをかろうじて避けているうちに、1コーナーは、後続集団と一緒に走る事となってしまった。S字で思いっきり右に振って3台ほどごぼう抜き。ヘアピンはインから入って、左高速で前車に追い付き右の後の短いストレートで1台パス。バンクに駆け上がりながらアウトから3台をパスするとその先はかなり離れていた。ひたすら前を追いかける。午前中に練習したラインをひたすら走ると、バンクでタコメーターが5速7800rpmに達する地点がかなり手前になっている。スピードは上っているし振動もかなりあるが、エンジンは持ってくれるだろうかと不安が頭をよぎっていく。クロスサインを過ぎ、白旗が出る頃までに、2台ほど追い越しただろうか?不安と振動と戦いながらひたすら走りチェッカー。結果は、3位だ。パドックの皆に迎えられ、次のレースの準備をする。バッテリーを取り替え、ガソリンは昨日の事があったので多い目の5?入れていると、マフラー取り付けステーが割れている事を発見。高山さんが急遽穴を開けてワイヤーリングで対処してくれた。オーバーヒートの懸念があるのでエンジンは出来るだけ冷ましておく。さあ次は最後のレースだ。思い残すことのないよう精一杯走ろうと心に決めグリッドに着く。グリッドは3列の一番イン側。イン側を一気に行くべく少しイン寄りに着ける。グリーンフラッグでスタート。イン側を一気に行く筈が、みんなイン側に寄って来るので行くところがなくなり、ロケットスタート失敗。1コーナーではアウトからバンバン抜かれて行く。S字、ヘアピンも詰まってしまい、なかなか脱出できない。その後は、懸命に走り何台追い越したか覚えていない。バンクでは風切音なのか、キリキリ音がしているような気がするが、ノッキング音ではないと自分に言い聞かせながら不安をぬぐおうとした。インフィールドの何処かで左ひざに何かが当った。何か部品が飛んだのだろうか?これも気にせず一生懸命走りに集中する。クロスサインが出た後、前のカワサキが見え始めた。追いかけるものが出てくると俄然ハッスルするものでどんどんカワサキが近づいてきた、ところがエンジンのパワーがだんだんなくなってきたように感じ始めた。白旗でラスト1周になった後、この状態が顕著になり、左高速の後の右ではうまくクリップにつけない。1つ目のバンクでは6500rpmしか廻らない。シケインの切り返しでは、うまく切り返せないのでイン側のダート(草むら)をショートカット。2つ目のバンクではもう5000 rpm廻るのがやっとの状態になっている。一瞬リタイアを考えたが、気を取り直し、最後のレースだから行けるところまで行こうとバンクの下の方をそのまま走行。ストレートから18度バンクまでがとても遠く感じる。そしてチェッカー。すぐにアクセル全閉、クラッチを切る。タンクの上に伏せながら惰性で走行していると、良くぞ私をチェッカーまで連れてきてくれた、このBMWR75/5が、けなげで、いたいけに思え、本当に良くがんばってくれたとタンクを撫でているうちに、涙があふれてきた。コースアウトすると皆が拍手で迎えてくれた。それをみて、これまで色々あったが、たくさんの人達のおかげでこうやって最終レースのチェッカーを受けられと思うと、もう涙は止まらない。ヘルメットの中で泣きじゃくってしまった。そうすると、オフィシャルが寄ってきて離れない。マシンを中西さんに託し降りると、しきりに私の目を見て何か言っている。テントの方へ行こうとしても行かせてくれない。どうも目に何か入ったのと勘違いされたらしい。救急車まで来てしまって大騒ぎだ。やっと判ってくれて開放された。テントに戻るとタンクの左側のニーパッドがなくなり、お面の下からオイルを垂らし、アンダーパンにいっぱいオイルを溜めたBMWR75/5が、高山さん達に看護されているようにたたずんでいた。根本さんがリアタイヤを指差し、「次の右があったら終わっていたネ。」みると、アンダーパンからこぼれたオイルがタイヤの右側にかかっていた。

 この後中西さんと、AHRMAのテントへカップをもらいに行くと最終レースが5位、昨日の2つ目のレースも7位入賞だった。デイトナだけで4レース全部(3位、4位、5位、7位)カップがもらえる。前回といい今回といい本当に私はデイトナにツキがあるなあと思った。テントにユッキーが戻ってきて、涙の話をしたら、彼女は涙の写真がすきなのか、カメラを向けながらまた泣かそうとする。そうは行くかとこらえた。
(デイトナ リザルト参照http://www.ahrma.org/results/2004/rr2004-02-03.htm)
 
 パドックを撤収して、根本さんとお世話になったAHRMAのテントに挨拶しに行った。コースのストレート部分を横断して、デイトナスピードウェーを後にする。サヨナラそしてアリガトウ デイトナスピードウェー。この後打ち上げに根本さんの知っているステーキハウスに向かう。デイトナスピードウェーとホリデーインデランドの中間あたりの北側だ。入り口階段からカーペットが敷いてあり、今までと違いかなり高級店だ。中に入ると、予約してあり席に着くと、これから焼く肉を見せに来た。すごくおいしそうだ。レンタカーを借りに行っていた木引さんとユッキーも到着し、ワインを選び、肉、焼きかた、付け合せ等注文。普段飲まない私も今飲むワインの味は最高だ。サラダなどと一緒に出てきたパンは、今まで食べたアメリカのパンと違い、日本のおいしいパンよりまだおいしい。もうひとつ食べたかったが、肉が出てくるので我慢した。やはり出てきたTボーンステーキがでかい。ナイフで切って口に入れると、これがまたうまい。日本のステーキと違いやわらかすぎないが、適度な歯ごたえとうまみがある。最高だ。付け合せのベイクドポテトもおいしいのだが、量が多すぎるので食べ切れなかった。根本さんが最後に連れてきた意味が解かった。先にこれを食べれば他の店で食べられなくなってしまっていたかもしれない。ここは、根本さんのおごりということで、お言葉に甘えて、ご馳走様でした。

こうして私のデイトナ遠征、夢の1週間は終わった。

 3月3日水曜日〜3月4日木曜日 今日は夢の世界から、現実の世界へ帰る日です。オーランド8時発の飛行機に間に合うよう4時半にロビーに集合。デランドからオーランドまで車で2時間、オーランドからデトロイトまで飛行機で2時間、デトロイトから関空まで14時間、関空から京都まで1時間半。乗り継ぎ等を含め約30時間かけて我が家に到着。7日間の疲れがどっと出たのか、どこでも良く寝られたのでかなり楽に帰ってこられた。ネバーランドから帰ってきたウェンディーのように、まだ半分夢の中のような状態だ。明日から現実の世界をきちんと受け止め、しっかり仕事をして、また4年後に夢の世界へ出発出来るようがんばろう。

今回の遠征は本当に波乱万丈の展開でした。天候不順、マシン破損、マシン不調、私のチョンボ。しかしこれらのトラブルをすべて解決して、フェニックスのように何度も復活し、最後のレースまでチェッカーを受けることが出来きました。これは、たくさんの方々の協力なしには達成出来なかったことです。アメリカの皆さんアリガトウございました。アメリカンモータースポーツ文化万歳。
 
 そして、今回のデイトナ遠征は、すばらしいメンバー(チーム)に参加できた事を幸せに思います。最初から終わりまで本当にマシン整備でお世話になった高山さん。日本からも応援してくれた高山さんのボス ジンさん。普段はうるさくても、いざとなったら頼りになる林君。時々抜けているが、いつも頼りになる中西さん。どんなときでも、場の雰囲気をやわらげてくれるケイコさん。私達の緊張を取るためにいつもおどけているが、いざとなったらすごいノウハウやコネクションを出してくれる木引さん。はじめは仕事が忙しくなかなか一緒に行動出来なかったが、惜しげもなく色々なノウハウを伝授してくれた、自分のメカニックとして連れてきた高山さんをほとんど私のために提供してくれた、私のマシンのパーツ探しを指揮して色々な知り合いにかけあってくれた、レンタカーまで負担してくれた根本健さん。このツアーを企画し陰で日向で支えてくれた山下さん。そして、「ここにいるシンさんが一番、70歳までココにこないとネ。」と、私の夢に同意してくれるよき理解者、私の妻 ハルさん。取材陣の雨宮君、サトー君、ユッキー。皆さんのおかげで私の今回の夢のデイトナ遠征が成功し完了しました。 本当にありがとうございました。




おまけ   出発前の様子です。

 ボーダーレス(旅行会社)のデーブ山下さんが「デランド空港のレースがなくなり代わりにジェミングスサーキットでのレースになります。ジェミングスは遠いのでご案内出来ません。」と言ってきていたので、オートポリスサーキットで根本健さんに会った時デイトナ遠征の話をして、ジェミングスの事を聞いてみると「レンタカーで行くよ。」との事、すかさずお願いして同行させてもらうことになった。

 ボーダーレスのデーブ山下さんに根本さんとの行動の摺り合わせをお願いした。

 レギュレーションは、ネットで呼び出し印刷した。

 翻訳は、リーに教えてもらった翻訳ソフトでおこなったがあまりうまく訳せていない。

 プレエントリーをするのにクレジットカードが必要なので年末に申し込みをしておいたのだが、(何かと対応が違うと言われるゴールドカードを申し込んでいた。)年が明けてもなかなか来ないので、銀行へ聞きに行くと調べてくれて「もう送付していますから2〜3日で到着すると思われます。」との事。帰ってすぐに郵便屋さんが「書留でーす。」とやってきた。

 AHRMAのメンバーシップの申し込みをFaxで送った。

  010-1-715-842-9545

 デイトナとジェミングスのプレエントリーをFaxで送った。

  010-1-615-851-3678

 船便で送る事になり、はじめ2月9日ごろ発送予定であったのが、通関の関係で1月26日に運送屋さんに梱包して持ち込まなくてはならなくなった。後20日間ないのに、まだマシンも仕上がっていない。まだ2年ある、まだ1年ある、まだ半年あると先延ばしして来た結果又土壇場で慌てる事となってしまった。

 フロントマスターシリンダー1/2(ホンダ)は、前回寺島さんに送ってもらったのが出てきたのでそれを装着できた。

 タイヤは、黒田タイヤで、雑誌の広告と同じ値段にしてもらったので1本200円しかないとぼやかれたが、交換工賃を1500円にすることで話は付いた。TT900GP F100/90-18 R120/80-18 予備を含めて各2本外したタイヤはデイトナを走った記念に置いておく事にした。

 新しいレギュレーションでアンダーパン(オイル受け)が必要なので、前に池さんからもらったTZ250のカウルの下部分を切断して黒色に塗装して(遊びでシルバーを少し吹いてみるとなかなか面白い色になった。) アルミ板でエンジンマウントからステーを付けてビス止めする事にする。そうすると今まで使っていたスタンドが使えなくなるので、図面を描いて奥居にアルミで削り出して貰ったスタンド受け金物をエンジンマウントのナットにして、スタンドをあり合せのパイプを溶接して作った。アンダーカウルの後端にダムが必要なので、ガムテープで形を作り内側から白のゲルコートを塗りポリエステル樹脂でグラスクロスを貼ってオイル止まりを作った。さらに内側内部には、断熱とオイル吸収を兼ねて、ミニマムで買ってきたグラスマット(2ストチャンバー消音機用)をシリコンコーキングで貼り付けた。

 フロントゼッケンプレートはこの際ステーを作り直すことにしてアルミアングルに切込みを入れてRをつけてみた。これは黄色のスポーツマン用(フォーミュラービンテージも同じ)取り付けビスもステンのトラスビス5ミリを新調した。

 BEARSでフェァリングが少なくとも1/4必要なので、前回のデイトナでアワエさんから譲ってもらったカウルをきれいに塗りなおして使うことにする。ところがこれに塗ってあったゲルコートがバリバリ剥がれているのでこの際きれいに剥がす事にした。サンダーで削っていくと中からきれいなFRP成型が現れてきた。しかし表面のワックスがしっかり浮き出ているのでなかなか塗装がのらない。そこで思いついたのがのりである。ワックスではじいているところに糊を塗るとその上から重ね塗りした時にはじかなくなった。下地にグレーを塗って、ゼッケン部分に白を塗って残りを黒に塗りだした時、塗料の相性が悪いのかひび割れしだした。その上からさらに黒を塗ると落ち着いたがひび割れ模様は残っているのでペーパーを掛けてみると下から降下していない塗料が出て来たのでシンナーで全部ふき取りもう一度黒を塗りなおすことにする。この時は他と同じメーカーの塗料を使う。(ここでもシルバーで少し遊んでみようと思ったが今度はあまりうまく行かなかった。) よく乾いたところで♯800のペーパーで水砥をしてさらに上からゼッケン部分に白とボディー部分に黒を塗り仕上げにクリアを吹いて完成です。取り付けステーは、アルミのフラットバーとアルミ板をビスで取り付けた。スクリーンは、前回アワエさんからもらった宮城光さんが使っていたものを磨き直して付ける事にした。

 リアのショックアブソーバーはレギュレーションでサブタンクが付いていなくて減衰力調整の付いていないもの、となっているので前回と同様のR100系のノーマルショックを使おうと棚から引っ張り出してきたところ、これが押さえると戻ってこない。戻ってくるのに数10秒かかってしまう。これではいけないと、中川さんからもらった部品取用になっているR100RSから外してみるとこれも同じで戻ってこない。これを付けて走ればどんどんリアが下がって行きとんでもない事になりそうだ。そこで東京のフラットの市川さんに電話して中古を探してもらうことにした。市川さんは相当苦労して探してくれたらしいのだが結局見つかったのは、ヤナセの寺嶋さんが持っていたものだった。寺嶋さんに電話すると、デイトナに行くのならぜひ使ってくださいとの事。家において有るので明日もって来て宅急便で送ってくれるとの事。これで一安心である。市川さんお世話を掛けました。寺島さんありがとう。

 梱包は、前回ハーレーのパレットをカスノさんから貰って来てそれを改造して送った。次回も使えるかと残しておいたがバランスも悪かったので材木で新たに作る事にした。パレットは骨に2*4材を縦と横に2段重ねにして上下にコンパネを貼った。前後タイヤ部分に穴を開けてタイヤを落としこみキャンバーでタイヤを押さえ込むようにして位置決めをする。今回はバッテリーの充電の心配をしなくてよいように発電機も持っていく事にするので発電機を積むスペースを確保するためにバイクは斜めに配置した。荷物を仮並べしてタイダウンを掛ける位置を決めて穴を明けてハイエースのベルトフックを4ケ処ボルトで取り付けた。側と天井は1*4材と5.5厚のベニヤ板で囲むが、通関で中がよく見えるようにしておかなければいけないのでベニヤ板を幅狭に切って隙間を明けて貼り付ける。前回現地で中西さんが開梱に苦労したようなので、オニメナットを使用して外すボルトをマジックで印して開ける手順を書いておこうと思っている。

 デーブさんから電話が有り、通関にフレームナンバーとエンジンナンバーの写真と紙の上から鉛筆でこすって数字を浮き出させたものがいるとの事、それも21日に必要だと19日の夜にかかってきた。早速作業途中だったマシンを仮組してデジカメで写真を撮りメールで送信、鉛筆でこすってナンバーを浮き出させた紙を宅急便で送った。

 キャブは、レギュレーションでフラットバルブが使えないので4年前のときにも使用したR100RSの純正のビング40Φを使用する。メインジェットはケイヒンの物が使えるように前回にフラットにて作ってもらったメインジェットホルダーがついているので、現地でのセッティングも可能だ。棚からキャブを引っ張り出してきてスロットルワイヤーを付けて見ると、ワイヤーの巻き取り量が不足して全開にならない。TZ用のハイスロに自作のワイヤーをつけた物を前回使用していたのでそれをセットする。ガソリンを入れて、いざ試運転。ところがエンジンはかかったが吹かない。それにニュートラルランプも点燈しない。電気やろか、と配線を調べてみたが異常なさそうだ。ニュートラルランプはどうも球切れのようである。と言うことは、キャブであろう、とバラしてみると左のキャブのメインジェットホルダーの奥から砂のようなものが出てきた。しかしこれぐらいの物であんなに吹かないのだろうかと思いつつ右のキャブをばらしてみると、なんと完全にメインジェットが詰まっていた。これが原因だ、犯人を突き止めてほっとしながらキャブの掃除をエアーガンでしていると、持っていたスライドピストンを落としてしまった。結果ダイヤフラムが破れてしまい試運転再開は部品待ちとなってしまった。翌日京都モータークラブにキャブガスケットキットを注文、この際ガスケットとOリングを替える事にする。土曜日やっと部品が届きキャブを組んで試運転、OKしっかり吹いてくれた。と、その時下をみるとガソリンがオーバーフローしてこぼれている、フロートバルブは今からでは間に合わない。どうしようと途方にくれていると棚の下の段に見覚えのあるケースを見つけた。そうだそこにはR100ロードスターのキャブが入っているのだ。すぐにそのキャブに中身を組み替えて取り付けてみると今度こそ本当にOKとなった。

 そのキャブ騒動の間に、またデーブさんから電話で「通関で工具箱の中身と持っていく予備のパーツの内容のリストを細かく作れと言ってきたんですよ。」こちらはそれどころではないので、生返事になってしまったら、時間がないとの事でもう一度電話が有り、そのまま電話で工具箱やケースの中身を口頭で伝えることが出来た。通関もテロ対策等で相当うるさくなっているようだ。さらにテントと椅子を持って行く予定だったが布製品はダメだということで持っていけない。あちらのサーキットはあまりピットが充実していないので草原でテントなしはつらい。結局テントのフレームだけ箱詰めして布はスーツケースに入れていく事にした。

 寺島さんから頂いたリアサスを組むとなんか変だ。よく調べてみると全長は少し長くオーリンズ(取り付け部に下駄を履かせて10ミリ伸ばしてある。)よりは、少し短いのだが、スプリングの上に遊びが有りプリロードを抜くと外れてしまう事を発見。このままだとリアが下がってしまい操縦性が狂いそうだ。すぐに各部の寸法を測り図面を描いて奥居のところへ行くが、今日は宴会が有ると言って早く帰りましたとの事。家に帰ってFaxを送っておいたところ、翌日電話がかかってきて「ちょうど機械を止めるので空いているぞー、ほなすぐ作ったるわ。帰りに持っていったるわな。」と言ってくれた。よい友達を持ったものだ。翌日出荷のため、私は木枠の製作におおわらわ。狭いスペースにいろいろ持って行きたい物が有るので詰め込むのが大変だったが、上部に棚をつけたりして何とかめどがついた頃、奥居が出来たてほやほやのスペーサーを持って来てくれた。仮組の枠をばらし、バイクを引っ張り出して、スプリングにベルトを掛けて縮めておいてスペーサーを取り付けてみるとばっちり、なかなかの出来である。これでマシンは完成した。荷物のリストをつけながらパレットに積み込んでいく。その時もう一度ケースの中身も確認しておいた。ケースのずれ止めをつけたり、棚の位置を変えたり、結構時間がかかり、オニメナットを使おうと思っていたが時間がないのでコーススレットにワッシャをかましてインパクトドライバーで止めるだけにした。これでも結構しっかりと箱は完成した。最終に、シッピングマークを四方に貼って一枚コピーして上にも貼って、開梱手順を貼り終わったのは12時を過ぎていた。翌朝10時30分までに大阪の西部運輸まで届けなければならないのに、本当にぎりぎりになったが何とか間に合った。

 翌朝、トラックに箱をフォークリフトで積み一路大阪へ、名神を豊中ICで下りて南へ地図どおり行くと、見覚えのあるところへ、そうです、前回マシンを引き取りに行った運送屋さんだったのです。着くと「バイクですねー。」と待っていてくれた様子。マシンの梱包を預けてこれでひと段落です。

 前回は、ゼッケン♯341(シュワンツ1番)でしたが、そのナンバーは他の人にいってしまったらしく、今回ゼッケン♯340(シュワンツ引退)です。時間がなかったのでゼッケンはスーツケースに入れて持っていく予定です。

 ゼッケンプレートは前回の物を参考に、発泡エンビ板を縦25センチ横30センチに今回は角のRを大きくして加工して作った。表に黄色のカッティングシートをはってスポーツマン用、裏はそのままの白色でBERES用とする。パソコンから出力して縦175ミリ横80ミリになるようにコピーで変倍した340の文字を黒の艶有りカッティングシートにセロテープで貼り付けはさみとカッターナイフで切りとりゼッケンナンバーを作った。これを6組も作るのだが、1組作ると文字の型が出来たので後はその型をセロテープではって同じ物を5組作れば良かった。コピーで出した文字を切り取った紙に芯を出して、文字貼りの型紙にする事で位置決めもうまく出来た。フロントゼッケンは現地にて行う予定。

 前回、エンジン付の乗り物には、エントラントのゼッケンをつけなければならなかったので電動スケーター用の小さいゼッケンも作っていく。





この参戦記が、これから、デイトナに挑戦しようとする人達の参考になれば幸せです。
横井愼一